「シンパシー」ではなく「エンパシー」をー誕生日、延暦寺での母との対話から

先日、33歳の誕生日に約1年ぶりに母親と会いました。
緊急事態宣言がようやく明けたからと、神奈川から大阪まで弾丸で来てくれ、一緒に比叡山に登り一日たくさんのことを話しました。

正直、この1年の間母との間には距離というか、溝がありました。
正確には「あった」というより私が「作っていた」というのが正しいのですが。

2019年末から、私とパートナーは日本とオーストラリアという超遠距離の中で、遠隔で婚約者ビザの申請に挑んだのですが、2020年はコロナも重なり行き来もできず、全く先行きが見えなくなり、しんどい思いをしていました。パートナーに触れることはもちろん、顔すら直接見られない。人生を前に進めようたって、自分たちではもはやどうしようもない、アウト・オブ・コントロール。そんな境遇だったので、職場・友達・身内、どんなに近しく、親しい人であっても「他者」である限り、結婚、出産、渡航許可が降りる欧米圏の国への引っ越し・・・本来なら素直に喜べるであろうライフイベントの知らせを、年賀状・SNS・友達とのグループLINEで目にするたびに私は感情を揺さぶられ、どんどん辛い気持ちになったのでした。
そして、家族との間でもそういうことがあって、私はフェードアウトするようにして、距離を置いてきました。

20代前半で同僚の父と結婚し、私の今の年齢の頃には3児の母をしていた母。片や20代は国内外の自転車旅に明け暮れ、会社を一旦離れて留学し、海外のパートナーと生きる道を選択した私。
あまりの生き方の違いに、「私がしんどいって言ったって、『そもそもなぜあえてそんな遠回りな生き方をするのか』と理解されていないだろう、想像なんてつかないだろう」と、独りよがりでネガティヴな思いが私の中で膨らみ、距離は広がる一方でした。

でも、母は違いました。
私と妹、弟、それぞれがどんな道を選び、互いの関係や環境に変化があろうとも、母と子それぞれの関係は変わらず、それぞれに想っているのだと。「私があなたの母であり、あなたが娘であることはこれまでもこの先もずっと変わらない」のだと語りかけてくれました。私が選んできた道に対しても「羨ましいと思うことさえある」と言ってくれたのでした。
私はどちらかというと(いや、かなりの)ひがみ体質で、いつも人のことを「羨ましい」と思っては、なんでこんなに現状不満足で、刺激と変化を求め続ける厄介な性格なんだろうと自分に手こずって生きてきたので、母からの「羨ましい」の一言は、皮肉ですが、ある意味最高の褒め言葉というか、自分を認めてあげられる言葉でもありました。

最近読んだブレイディみかこさんの著書『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』(新潮社)の中で、「シンパシー(sympathy)」と「エンパシー(empathy)」の違いについてふれている、とても腑に落ちる一節がありました。
本によるとシンパシーは「かわいそうな立場の人は問題を抱えた人、自分と似たような意見を持っている人々に対して抱く感情」で、エンパシーは「自分と違う理念や信念を持つ人や、別にかわいそうだとは思えない立場の人々が何を考えているのだろうと想像する力」のことで、「シンパシーは感情的状態、エンパシーは知的作業と言えるかもしれない」と説明されていました。

これを読んで「あぁ、私が欲しかったのはシンパシーではなくエンパシーだったのかな」とすっと心の霧が晴れた感じがありました。同情されたいわけじゃない(だって自分で選んだ道だし、不幸せなわけではない)、ただ、娘の私の今の境遇に想像を巡らせたうえで、接して欲しかったのだと。
同時に、私も私で、母の変わらぬ愛情にこの1年間気づけず「違いすぎて、理解される・できるわけがない」と一方的に遮断してしまっていたなと、いい大人のくせに思春期の子どもじみていたと悔やみ、恥じたのでした。

「親の想いがわかることが大切なんです。それが出来たら、立派な大人です。」
誕生日の夜、パートナーの母からこんな言葉をもらいました。
私は少しでも、大人になれたでしょうか。いや、きっとまだまだ。

母が、自分とは全然違う生き方を選んだ娘の私を理解し、変わらぬ愛情をもって見守ってくれているように、私も相手へのエンパシーを丁寧にもって生きる、そんな30代を歩んで行けたらいいなと思う、33歳の始まりでした。

All you need is love… and empathy(maybe).
Ayaka