「シンパシー」ではなく「エンパシー」をー誕生日、延暦寺での母との対話から

先日、33歳の誕生日に約1年ぶりに母親と会いました。
緊急事態宣言がようやく明けたからと、神奈川から大阪まで弾丸で来てくれ、一緒に比叡山に登り一日たくさんのことを話しました。

正直、この1年の間母との間には距離というか、溝がありました。
正確には「あった」というより私が「作っていた」というのが正しいのですが。

2019年末から、私とパートナーは日本とオーストラリアという超遠距離の中で、遠隔で婚約者ビザの申請に挑んだのですが、2020年はコロナも重なり行き来もできず、全く先行きが見えなくなり、しんどい思いをしていました。パートナーに触れることはもちろん、顔すら直接見られない。人生を前に進めようたって、自分たちではもはやどうしようもない、アウト・オブ・コントロール。そんな境遇だったので、職場・友達・身内、どんなに近しく、親しい人であっても「他者」である限り、結婚、出産、渡航許可が降りる欧米圏の国への引っ越し・・・本来なら素直に喜べるであろうライフイベントの知らせを、年賀状・SNS・友達とのグループLINEで目にするたびに私は感情を揺さぶられ、どんどん辛い気持ちになったのでした。
そして、家族との間でもそういうことがあって、私はフェードアウトするようにして、距離を置いてきました。