「シンパシー」ではなく「エンパシー」をー誕生日、延暦寺での母との対話から

20代前半で同僚の父と結婚し、私の今の年齢の頃には3児の母をしていた母。片や20代は国内外の自転車旅に明け暮れ、会社を一旦離れて留学し、海外のパートナーと生きる道を選択した私。
あまりの生き方の違いに、「私がしんどいって言ったって、『そもそもなぜあえてそんな遠回りな生き方をするのか』と理解されていないだろう、想像なんてつかないだろう」と、独りよがりでネガティヴな思いが私の中で膨らみ、距離は広がる一方でした。

でも、母は違いました。
私と妹、弟、それぞれがどんな道を選び、互いの関係や環境に変化があろうとも、母と子それぞれの関係は変わらず、それぞれに想っているのだと。「私があなたの母であり、あなたが娘であることはこれまでもこの先もずっと変わらない」のだと語りかけてくれました。私が選んできた道に対しても「羨ましいと思うことさえある」と言ってくれたのでした。
私はどちらかというと(いや、かなりの)ひがみ体質で、いつも人のことを「羨ましい」と思っては、なんでこんなに現状不満足で、刺激と変化を求め続ける厄介な性格なんだろうと自分に手こずって生きてきたので、母からの「羨ましい」の一言は、皮肉ですが、ある意味最高の褒め言葉というか、自分を認めてあげられる言葉でもありました。