「シンパシー」ではなく「エンパシー」をー誕生日、延暦寺での母との対話から

これを読んで「あぁ、私が欲しかったのはシンパシーではなくエンパシーだったのかな」とすっと心の霧が晴れた感じがありました。同情されたいわけじゃない(だって自分で選んだ道だし、不幸せなわけではない)、ただ、娘の私の今の境遇に想像を巡らせたうえで、接して欲しかったのだと。
同時に、私も私で、母の変わらぬ愛情にこの1年間気づけず「違いすぎて、理解される・できるわけがない」と一方的に遮断してしまっていたなと、いい大人のくせに思春期の子どもじみていたと悔やみ、恥じたのでした。

「親の想いがわかることが大切なんです。それが出来たら、立派な大人です。」
誕生日の夜、パートナーの母からこんな言葉をもらいました。
私は少しでも、大人になれたでしょうか。いや、きっとまだまだ。