心の「換気」、足りてる?

7月の復職以降、約半年間取り組んできた書籍のお仕事が、ようやくひと段落!と思ったら、あっという間に師走も折り返し、2020年も残り2週間ちょっとになっていました。

ーそして、コロナの第3波と自粛要請。

なんやらかんやらで自転車に1ヶ月ほど乗れない日が続くと、さすがに欲求不満が募るもの。久々の土曜一日休みの昼下がり、家事の合間に近くの淀川サイクリングロードへひとっ走り。10月半ば以来に走った河川敷はすっかり冬の空気。

見渡すと、ウォーキングにランニング、犬の散歩、野球にサッカー、ラグビー、スケボーに縄跳び、自転車、三輪車・・・子どもからお年寄りまで、いろんな人たちが川沿いに緩やかに、密を避けて集いながら思い思いに身体を動かしていました。「みんなスッキリした顔をして、ええ感じ〜」なんてのんきに眺めながら走り込んでいたら、「ええパープルですね〜どこのバイク?」なんて見知らぬライダーさんが追い抜き際に声をかけてくれて、会話が始まって。一人で来ても自然と一人じゃなくなっちゃうのが、大阪のええところ。

それにしても、あぁぁ、空気が美味しい。

バイクで風を切って走りながら空気を吸うと、全身の血管に溜まった二酸化炭素がどんどん新鮮な酸素と入れ替わっていく感じがしました。身体が、脳が、心が、そうか換気を求めていたんだなって。

平日、オフィス勤務時はお弁当、在宅勤務時のランチは基本自炊にしているけど、それでも昼時に一度はコンビニにご褒美スイーツを買いに行くとか、ドラッグストアに洗剤を買いに行くとか、適当な理由をつけて、外の空気を吸いに出るようにしています。ずっと屋内にこもったままだと、だんだん脳が酸欠状態でクラクラしてきちゃう気がして。

適応障害での3ヶ月の休職期間を経て気づいたんですが、人間って、毎日同じ場所にこもって同じ景色を見ていると、脳が何の刺激も発見も感じなくなってしまい、視界の一部として固定化してしまうみたいなんです。で、勝手に意識が自分の内側へ内側へとばかり向かってしまい、脳内でいらんことを、鬱々・ぐるぐると考え始めちゃう傾向が(少なくとも私には)ある様子。(昔テレビで「お年寄りがディズニーランドに行くと見たことのない景色ばかりで脳が活性化し、認知症予防にも役立つ」的な実験結果を見た記憶があるのですが、これも似たようなものかもしれません。)

このコロナで、ウチ(家)へと物理的にこもっていくうちに、人の心もウチ(内)へとどんどん引きこもっていっていないだろうか。対面ではマスクで頬と口元を隠し、リモート勤務ではチャットやビデオ会議システムだけで話すうちに、相手の表情や雰囲気といったノンバーバルな「言外のメッセージ」を読み取ることが、私たちは無意識のうちにどんどん、下手くそになっているんじゃないか。前は好きだった人たちが、「あれ、この人ってこんな言い方する人だったっけ・・・?」と思うことが最近よくあるんです。でもこれはその人のせいじゃない(だって、嫌いになりくないもの!)そうだ、これはきっとコロナのせいだ。「コロナが、身体の代わりに心を蝕んでしまったんだ」って。悲しいけれど、そう思うようにしています。

今は、GoToトラベルも全国一斉停止で、まだ見ぬ景色や新たな刺激・冒険を求めての遠出は難しい日々。でも、ずっとウチにこもり続けると、冬の寒さも相まって、脳も心も身体も余計に縮こまっていっちゃう。今年日本で、コロナで亡くなった人の数と、自殺した人の数の差が、それを物語っていると思うのです。心まで蝕まれたらダメだ。こんな時だからこそ、意識的に、家の近所でいいから、脳・心・身体にできるだけフレッシュな空気を送り込んであげるのが良いのかも。同じ河川敷でも、季節が変わるだけで、空も植物も、集う人々の装いも変わるから。

この年末年始は、実家の神奈川への帰省は見送り、大阪ステイです。「大正時代の着物、面白いわぁ」と興味津々の同居の祖母と『鬼滅の刃』のアニメシリーズをNetFlixで見倒して、『シン・エヴァンゲリオン劇場版』公開に備えてこれまでの作品をよく復習して、自転車を淀川沿いで思う存分乗り回す、そんなホリデーになりそうです。脳・心・身体の換気を十分にとりながら。

今日という一日を心身健康に乗り切れたことに感謝を込めて。

A sound mind is found in a sound body.

Stay safe and healthy and don’t forget  your smile.

Ayaka