「人生はラグビーボールのようなものである」ー私が大阪府民になった理由

2020年上半期、世界はコロナで大きく変わってしまいましたが(そして今も続いているけれど)私にとっても、厳しい半年間でした。出口の見えない、細く暗く長いトンネルの中をずっと彷徨っていました。

2年半前にオーストラリア留学から帰国した時、ちょっとした挫折がきっかけで患った「適応障害」という病。2019年は調子がよかったものの、その陰がまた襲ってきたのです。年明けは、このところ調子上がらないな、今年は本厄だからこんなもんかなぁなんて思っていたものの、アリ地獄に引き込まれるようにどんどんダークサイドへ堕ちていきました。

英語教材の編集が私の仕事ですが、英語はおろか、日本語のメールもまったく頭に入らない。PCの前でフリーズして数時間が経過してしまう。大好きなはずの「人前で話す」ということもままならない。自転車関連のイベントで司会をしても、子ども向けに英語学習のワークショップを開いても、自分が何を喋っているのかわからなくなり混沌としていました。大好きなロードバイクに乗ってもまったく楽しくない。家を出た瞬間から帰りたくなってしまう。

とにかく、自分が中途半端で、何事も成し遂げられず何者にもなれないダメなやつなんだと責めて責めて責めまくってしまう。旧知の友人に会っても「こんな自分といてもつまらないはずだ。申し訳ない」と思う。化粧をしようにも自分の顔に思えずただ塗りたくるだけのような感覚に陥ってしまう。

そうしてどんどん、人に会うのが億劫になってしまい、連絡も途絶えさせてしまう。会社の屋上を見上げたり、家のベランダに出れば飛び降りたいと思い、電車を見れば飛び込んでみようかと思い、かろうじて乗れても「時差通勤にご協力を…」という車内アナウンスが「自殺」に聞こえてしかたない。そんな日々を数ヶ月続けた後、主治医の判断でついに、しばらく会社をお休みさせてもらうことになりました。

会社を休んだからといってスグによくなるわけではなく、それもそれでしんどい日々でした。

「好きなことをしてゆっくり過ごしたらいいよ」と言われても、何をしても楽しくないので何をしたらいいかわらかない。とりあえず家事をしようとしても、5分の風呂掃除をするのに2時間ベッドに横にならないとできない。気分転換にと満開の桜並木を観に散歩に出ても、どうしても綺麗に思えず気づけば10km彷徨うように歩き続ける。仕事ができる状態じゃないのに、仕事がないと一日を持て余してしまう。気付いたら、心の病についての本(文字を読み続けるのはしんどいので漫画が主)をKindleで読みあさったり、自殺防止のネット掲示板で自分と同じような状況の人たちが支え合うのを読み慰めにするのが日課になっていました。朝起きるたびにこんな自分が生きていてよいのかと思い、ただただやり過ごす日々がしばらく続きました。