「人生はラグビーボールのようなものである」ー私が大阪府民になった理由

そんな私の転機になったのが、父親の故郷、大阪で今も一人で暮らす祖母との共同生活でした。

戦時中、日本統治下の台湾で生まれ、終戦と共に「母国」日本に初めて足を踏み入れた祖母。激動の時代を生きた祖母からしたら私なんぞちっぽけなものです。ぐじぐじした悩みのるつぼに親身に寄り添いながらも、カラッと笑い飛ばしてくれる、そんな祖母の持ち前のエネルギーと大阪ならではの気風にとても救われました。

そして、「また自転車に乗りたい、旅に出たい、まだ出会っていない景色も人も美味しいものもたくさんあるんだから生きなくっちゃ!」そんなエネルギーが少しずつ湧いてきたのです。

そうして少しずつ自分の思考が「過去への後悔」から「未来にやりたいこと」に向かい始め、復職の許可が出て7月から大阪転勤になりました。在宅勤務で私がパソコン仕事に勤しむ傍ら、専門の洋裁で新作に励む祖母。夕方には一緒にウォーキングがてらスーパーに出かけ、晩ご飯をこしらえて美味しくいただく。素朴だけれど、二人の健康があってこそ成り立つこの生活に感謝する日々です。

淀川サイクリングロードから望む梅田のビル群の上を、伊丹空港に向かう飛行機が飛んでいく景色は、留学先だったオーストラリアのブリスベン川から望むそれと似ています。「ここならきっと生きていける」そう思わせてくれる素敵な景色です。

「人生とはラグビーボールのようなものである」

小田原ラグビー協会の理事を務める、高校時代の恩師の言葉です。

「人生は楕円球。どっちに転ぶかは誰にもわからない。むしろその波に乗っかれ。ファイト!」

もう大丈夫、うまくいっていると思っていた昨年から一転、またダークサイドに堕ちてしまったのは想定外でした。

でもそのおかげで、約30年間暮らし続けた神奈川を飛び出し、大阪府民になるという想定外の未来も待っていました。

この先、どっちに転ぶかはわからないし、自分の中に潜む陰への怖さや不安もちろんあります。

それでも、今は、祖母と食卓を囲み、英語の教材と向き合い、自転車で西日本を新たに開拓できる喜びを感じています。

一番しんどい時に「明けない夜はない」「やまない雨はない」という言葉をもらっても「そんなん言われても、今が苦しいの!」と辛かった。「ありのままの自分を受け入れて」と言われても、その自分を愛せないからしんどかった。でも、人生はきっと楕円球。悪い方向に転ぶこともあれば、いい方向に転ぶ時もきっとある。暗く長いトンネルを通ったこの経験が、未来の自分の支えとなり、また、今もどこかで同じように症状に苦しむ誰かの役に立つ日が来ますように。

支えてくれるすべての人に、心からの感謝を込めて。

With much of love and hug- thank you so much for always being by my side.

Ayaka