隣の芝はいつだって青いから、ただ自分が選んだ道を行け

大学、新社会人~3、4年目くらいまでは皆大体同じようなレールを辿っていたものが、30歳を過ぎると、転職、独立、結婚、出産…など、「選択した結果」の違いが如実に形に表れてくる。そしてそれが、同窓会といったリアルな場だけじゃなく、SNSを通じて日々の中で否応なく可視化され、つい自分と比較してしまうアラサー世代は多いのでは。今回はそんな分岐した道で感じる「ちょっとした生きづらさ」をテーマにしたお話。

素直に「いいね」ができなくて

「31歳独身女性」と書くとなんだかリアル。「アヤカちゃんは結婚していないから、自転車の活動も、海外旅行も、自由にできるんだよね」という声を聞いて傷つかないわけじゃない。 Crystal Kayが同世代の女性たちにエールを込めた曲「幸せって。」で描かれる主人公のように、私もSNS上のタイムラインに流れてくる友達の結婚、出産、子育てといった「ライフイベント」の投稿に素直に「いいね」を押せないことがしばしば。オーストラリア在住のパートナーとは、ビザ申請の手続き上「日本で入籍したくてもすぐにはできない」現状。そう簡単には行き来できない遠距離、一緒に暮らせるようになるまでの長い申請期間と道のりを憂いて、特に仕事で余裕がなくなると、身近な人たちの「幸福な姿」に対して、チクッとした嫉妬の感情を抱いてしまう。「この道を選んだのは自分なのに!」と、自分の心の狭さに自己嫌悪になってしまう。

結婚へのプレッシャーは「日本だから」じゃない

もちろん、そんな私情を毎回人に説明するわけではないので、悪意のない「結婚はまだなの?」という有言・無言のプレッシャーを受けることもしばしば。「これって日本特有なんだろうな。あぁいやだわ!」と思っていたけれど、実は日本に限ったことじゃないみたい。SK–Ⅱの動画シリーズ「タイムライン」には東京、ソウル、上海、NY の各都市 で「女は社会に出たら結婚するのが当たり前」という価値観を持つ祖母・母親世代と、多様性の時代を生きる娘世代たちが登場する。(特に中国では25歳を過ぎて未婚だと社会不適応者のようなレッテルを貼られてしまう局面があるというのは衝撃的!)祖母と母親が娘に、娘が自身に対して描く人生の「タイムライン」を、インスタレーションで視覚化することで、互いのこわばっていた心・固定観念が溶け始め、受け入れあえるようになっていく姿が映し出されている。どこかで「日本独特」と決め込んだ自分の中の固定観念が崩されると同時に、もはやこれは世界規模での世代間ギャップなのではと感じた。

意識しちゃうのは男も女も同じこと

そしてそんなギャップと同世代の他者との比較から「生きづらさ」を感じているのは何も女性だけではないと気づいた出来事が。大学卒業以来、約9年ぶりに再会したクラスメイトは、結婚して二児の父親になっていた。彼の会社が所有する自転車チームで活躍する同世代のトップ選手の国際的な活躍ぶりに「ほとんど同い年なのに、なんていうか世界が全然違うよなぁ…もちろん、俺も家族は大事で大好きなんだけどさ。」とグラスを片手にちょっと遠い目をしていた。そんな話を後日、その選手本人に伝えてみたら「自転車競技の道を選んだけれど、僕から見たら、この歳で家庭をもって立派に子どもを養っている彼もすごくかっこいいと思う。」と率直な返事をもらった。「自分が選ばなかった方」の生き方に対して、羨望や焦燥を覚えるのは女性に限ったことではなく、「選択の違い」が顕著に見え始めたアラサー世代では共通のものなのかもしれない。

呪縛をかけていたのは自分自身?

妹や後輩が先に結婚したことに対して、一種の劣等感みたいなわだかまりが自分の中にあるのは事実。でもそれはきっと、私自身が実は一番「結婚」という制度・親世代からの社会概念に囚われて自分を縛っているからなのかもしれない。(何より、「結婚」をキーワードにこうしてブログを書く時点でそれを露呈している!)結婚しなくても十二分に幸せな人もいれば、結婚していても不幸せな人もいる。結婚式を機に疎遠になってしまった友達もいれば、変わらず家族ぐるみで付き合える友達もいる。結婚は「人生の選択・一つの側面」に過ぎず、結局は「個人がどう生きるか」という根本的なところに帰着するのだろう。

納得感をもって生きる

「自分が選んだ道なんだと納得感をもっていれば、嫉妬や比較をする必要なんてなくなるから」と教えてくれたのは50代・独身男性の友人。20年のサラリーマン生活の後、独立して、サハラ砂漠マラソンに出たり、来年はエベレスト登山に挑戦するそうで、突き抜けた生き方は「ぶっ飛んでカッコイイ」としか言いようがない。きっと彼のように「自分が選んだ道」を夢中で開拓し続けていたら、男も女も関係なく「なんかめっちゃおもしろそうだね、いいじゃん!」って素直に言えるようになるのかもしれない。大昔から言うように、しょせん隣の芝は青いのだ。ならばすべきことはただシンプルに、自分が選んだ道を胸を張って進むこと。

建前ではない真の「多様性」とは

結婚する・しない、出産する・しないはもちろん、どんな人とどんなパートナーシップを築くのか、セクシュアリティそのものも含め、「多様性」が連呼される時代だけれど、そうはいってもまだまだ「だってそれが自然でしょ?」という圧力は強い。 真の「多様性」とはきっと「マジョリティを選ばなかったマイノリティが容認される状態」ではなく、マジョリティ・マイノリティの単純な二分割などできないくらい、バラエティに富み、重圧の発生しどころのない状態をいうのかもしれない。人様のタイムラインを眺めて羨望、焦燥してしまうくらいならば、その時間とエネルギーを、納得感を持って生きられるよう自分や目の前の大切な人に向けていけばよいのだと思う。そうやって無我夢中で生きているうちにきっと呪縛も解けて、「私も楽しんでいるけど、君の人生もいいね!」って、素直に互いに言えるような私に、私たち世代になっていけたら、いいな。

生きづらさ・息のしづらさを胸の内で感じながらも、今日も笑顔で応じる同世代の仲間たちに互いへのエールを込めて。

Just believe the way you/we chose-

Ayaka