スポーツが嫌いじゃだめですか?

6月3日付朝日新聞の朝刊に、「スポーツ嫌いダメ?」という見出しの記事が出ていました。

スポーツが「嫌い」か「やや嫌い」な中学生は16.4%で、微増傾向にあるとのことで、スポーツ庁が向こう数年間で半減させる目標を打ち出したそうです。

スポーツが嫌いでも別にいいと思います。

私自身、スポーツというか、学校の体育が大嫌いな子供でした。
体育の授業に、何一ついい思い出がありません。

小学校の時、ドッヂボールをすれば、チーム分けでクラスのリーダー的存在の子が自分が欲しいメンバーを順々に指名して、私はいつも一番最後の「余りもの」。
初めての運動会で意気込んで臨んだ徒競走は5人中4位。
プールの授業では、スイミングに通っている子と差が付きすぎるからとクラス分けがなされたものの、顔に水はつけられるけど泳げない程度の私は初級クラス。プールの時期はしょっちゅう、「ものもらいができた」とかなんとか言って、「見学」にする理由を探していました。

中学に上がれば創作ダンスの授業で、「動きがもはや面白い」とクラスメイトにからかわれ、
高校のテニスの授業では、左利きだからか先生もクラスメイトも教えにくそうで申し訳なくて、球技大会でバレーボールの練習をすれば「練習の練習にしかならない」と言われてしまい、バスケットに出れば、全力で動いているのに「アヤカももっと動かないと!!」とありがたい叱咤激励をされ…

まぁまぁ他にも恨みつらみ(?)に近いエピソードはいっぱいあるけれど、このくらいにしておいて…


▲小学生の時、25m泳げないのがあまりに悔しくて、夏休みに地域の水泳教室に通い合宿した思い出も…。

体育の授業は私にとって「劣等感を覚え、皆の足を引っ張っている申し訳なさを感じるだけ」の時間でしかありませんでした。
特に小学校時代は、「どんなに頑張っても皆みたいに器用にできない」気持ちでいっぱいでした。(そういえば逆上がりも全然できなくて、昼休みにクラスメイトに特訓してもらったけど結局できるようにならなかった覚えが…)

中学時代も、高校受験に必要な内申点がどうしてもあと一歩で。体育の実技では稼げないぶん、保健のペーパーテストだけは満点を取ろうと必死に勉強。担任・保護者・自分の三者面談でも、担任から「まぁ体育の実技部分はね…こればっかりはどうしようもないからね…」と苦笑されたのを今でも覚えています。(←けっこう根に持つタイプですね。汗)

唯一好きだったのは、大学時代の体育の「護身術」の授業。あれは「夜道や海外旅行でいざという時、役立つはず!」と一生懸命やりました(笑)

もちろん、ずっとスポーツを避けてきたわけではありません。自分から歩み寄ったこともありました。
高校に上がると同時に、メガネからコンタクトに変えた私はいわゆる「高校デビュー」の勢いに身を任せて「よしっ!スポーツができるワタシになろう!」と一大決心をし、バドミントン部に入部したものの、1週間の仮入部で挫折。ラケットを持つ前段階の、ラダーを使ったステップの基礎練習で、明らかに「スタート地点で皆よりはるかに出遅れている」と感じて「こりゃ壮絶な道のりになる…」と悟りました。
で、結局、中学時代と同じ吹奏楽部に入部。


▲球技を観戦するのは好きなのですが、プレーするのはどうしても苦手。なぜあんなに華麗に扱えるのか信じられない…

よく、「アヤカは学生時代もスポーツ大好きだったんでしょ?」と言われるのですが、真反対です。
中1~高1まで吹奏楽部に所属した後は裏千家茶道部に転部。大学時代も4年間ずっと茶道部でした。

自転車(ロードバイク)を始めたのは、社会人になってからです。
思えばもともと、持久力というか、負けず嫌いゆえの忍耐強さみたいなのはあったのかもしれません。
器用に道具を使うことはできないので球技はからっきしだけれど、小学校時代の持久走だけは不思議と得意でした。体育の授業本編はイヤでも、最初のウォームアップでゆるやかに走るのはわりと好きでした(笑)
国数英理社の中で一番得意だったのは英語で、英語と持久走は「地道にコツコツ」というところがどことなく似ているなぁと感じていました。


▲自転車で訪れた日光東照宮。最初に自転車をやろうと思ったのは、もともとこうした旅が好きだったから。

そして、ロードバイクを始めて、自分よりも一回り、二回り、それよりもずっと上でも元気に颯爽とバイクを楽しむ人生の先輩たちにたくさん出会いました。
平地でも、坂道でも、ずっと若いはずの私は颯爽と追い抜かれてしまう。バイクにランにスイムに、信じられない距離を泳いだり走ったりする。年齢という「数字上の若さ」なんて全然武器にならないことを知りました。

もちろん、私と同世代でロードバイクをやっている人の中でも、10代のうちに何かしら運動経験がある人はやっぱり基礎体力が違うし、体幹もしっかりしている。ここぞという時に踏ん張りが効く。
「10代の時に運動していたら、今、私はもっと運動ができたかもしれない」。そう思うと悔しい気もするけれど、あの時は体育を忌み嫌っていたんだから仕方ありません。過去は変えられないですから。でもそう思うということは、つまり、
「20代の時に運動しておくことで、軽やかでタフな30代を過ごせるようになる!」ということでもあります。今スポーツをすることは、今の自分に投資していると同時に、未来の自分に投資している感覚がけっこうあるかなと。


▲自転車好きが高じて、昨年からはロードレース観戦にも行くように♪写真は昨秋の宇都宮ジャパンカップにて。

社会に出ると、人の年の取り方ってすごく変わると思います。運動している人は、シュッと引き締まったカラダをしていて、爽やかな笑顔をしている。(「やせている」と「引き締まっている」は違いますよね。)すごく魅力的だなぁと。そこに実年齢は関係ありません。

そうやって先輩方を見るうちに「自分もあんなカッコいいた大人になりたい!」という気持ちから、自転車の他に、日常的にランニングもするようになりました。日本国内のファンランイベントはもちろん、タイのチェンマイマラソンにも出てしまったんですから人間って、人生って、不思議なものです。


▲2年ほど前に出たチェンマイマラソンで大会公式キャラクターと。(ゆるい…)10km部門は朝6時に銅鑼の音に合わせてスタート!参加賞にたくさんタイの食品をもらいうれしかった♪(トップ写真もチェンマイマラソンにて。)

こんな風に、何かのきっかけで180度「スポーツ観」が変わってしまった大人がいるんですから、もし「スポーツ嫌いじゃダメ?」って中学生に尋ねられたら、「ムリに好きにならなくたっていいよ」と答えると思います。

10代でダメでも、20代で好きになるかもしれない。
20代でダメでも、30代で好きになるかもしれない

それが、入社、産後、転職、定年、退職…人によって「出会い」が来るタイミングは違うだけだと思うんです。

学校の「英語」の科目が嫌いでも、生活の中やコミュニケーションとして英語にふれたら、「面白い!もっとやりたい!」って思う人がたくさんいるように、
学校の「体育」が嫌いになることは「スポーツ」を嫌いになることと同義ではないはず。
今の体育の授業や部活動だと(特に公立は)予算だったり指導教員の人手不足だったりでどうしても種目が限られてしまいます。野球・バスケット・サッカー・テニス…といったメジャースポーツができなければ「スポーツができない子」になってしまうの?というと全然、そんなことはないですよね。もし子どものスポーツ嫌いというか「体育嫌い」を減らしてあげたいのなら、もっともっと、学校教育以外で、地域のクラブやコミュニティを通して、体験できるスポーツの選択肢を増やしてあげられるようになればいいなと思います。

個人と楽器の相性があるように、個人とスポーツにももちろん相性があるわけで。

何をやってもダメで「スポーツが嫌い」「一生スポーツとは無縁の人生を送っていくんだろうな」と思っていた私が、ロードバイクと出会ったことで人生が180度変わって、大学入試対策の仕事をしていたはずが、「スポーツを学ぶんだ!」と会社を飛び出し、オーストラリアに来てしまった。振れ幅でかすぎやろ自分!とツッコミたくなるけれど、これもこれでまた人生

スポーツが嫌いでも、スポーツができなくても、そんな自分を嫌いにならないでほしいんです。
きっとどこかで、可能性を広げてくれるものがあるから。まだ出会っていないだけだから。
一人でも多くの「体育嫌い」な子が「ピン」と直感を、運命を感じるスポーツと出会い、新しい自分、大好きな自分を発見できますように。

Take it easy.
Ayaka

 

 

 

 

 

▲朝のキャンパス内の雑木林の小径をランニング。冬の朝の空気は新鮮。

【参考:2017年6月3日 朝日新聞『スポーツ嫌いダメ?国の目標波紋 「体育の恨み」影響も』】