私が祖母にバナナの皮を投げた朝

人と一緒に暮らしていくというのは大変なことです。
どんなに仲が良くても、家族として信じて、愛し合っていても、
人と人が一緒にいる限り、やっぱりそこにいざこざやすれ違いが生じたり、息が詰まってしまうことはあります。特にこのコロナ下で、モヤモヤを抱えている親御さんや、自宅介護・介助者の方はたくさんいると思います。

大阪で二人暮らしをしている祖母と私もご多分に漏れず、そんな日もあります。
今年89になる祖母は、「要支援1」(要介護ではない)で、耳こそ補聴器頼りなものの、足腰はしっかりしており、食事も入浴も排泄も一人で全部できます。病院も一人で行くし、電車やバスを乗り継ぎ友達とランチにも出かけます。何ならLINEもZOOMもできます。なので、世間的に見れば稀有な存在で、心身の健康という点においては幸せなシニアライフを送っていると言えるでしょう。

家の中では、祖母が洗濯、その他の家事は私がほぼ担っています。(前はヘルパーさんが週1で来てくれていましたが、2年前に私と暮らし始めてからは止めています。)祖母と暮らし始めるまでは自分のための適当な料理しか作ったことがなかった私ですが、この生活のおかげでだいぶ鍛えられました。掃除は母親譲りで割と好きです。

それでも、コロナが再び悪化して、旅行も行きづらく、外泊で息ぬきしづらくなったからでしょうか。ここ最近、「家事疲れ」を自分の中に感じるようになってきていました。

もちろん毎回、一汁三菜をゼロから作っているわけではないし、作り置きや、「焼くだけ」「揚げるだけ」の加工食品を利用することも多々あります。でも、「料理」って「作る」だけじゃないんですよね。スーパーで食材を吟味して買う、それを仕分けして冷蔵庫や然るべき場所に保管する、献立を考える、作る、洗う、片付ける、ゴミを処理する・・・一連の流れ全てが「料理」です。
掃除もそう。洗剤類を買って、詰め替えて、掃除して、掃除道具を掃除して・・・。そうやって生活の中にはいわゆる「見えない家事」「なもなき家事」と呼ばれるものが山ほどあるんですよね。

ですから、休みの日もずっと家事に追われている気がして、しんどくなってしまって。