私が祖母にバナナの皮を投げた朝

私はこんな風に怒鳴り散らして、物を壊したり、バナナの皮を投げるような人間じゃなかったのに・・・と、とてもショックでした。オフィスに出社し、冷静さを取り戻した頃には自己嫌悪になりました。
弁当を食べながら、子育て中の先輩に「あるある、そういうの!」と共感してもらえて、救われました。
「夜もうこれ以上仕事も家事もない、寝る前の自分だけの時間が一番好き。だから夜中のNetflixとかやめられないんだよね・・・」という同僚の声にも、この上なく同意しました。

祖母は祖母なりの感謝や想いをもって言ってくれていたことなのでしょう。ただ表現の仕方が、その時の私にとってうまく当てはまらなかっただけで。実質的には「お年寄り」の祖母に、「現役世代」の私が同じ「大人」として「不公平だ!」と不満を溜め続けてしまった私も、そもそも姿勢が間違っていたなと今では思っています。月並みですが、私はただ労って欲しかっただけなのかもしれません。

その晩、私は実家の母にLINEをしました。
「母が今の私の年齢の時、8、6、3歳の子供がいたんだよね。あの時母、ヒステリー起こしたり、怒りまくって私たちのおもちゃ壊したりしてたけど、そりゃ無理もないよ、発狂するわ。」と。母は「あんたは(セーラームーンの)ステッキを私が壊したことがトラウマになっていたようだけれど、私は覚えていなくて。でも、今さらながらわかってもらえてよかった」と返信をくれました。

「生活」を回すのは大変なことです。けれども、こうして当時の母親の気持ちが少しでも理解できたなら、「生活」とは、時にしんどくとも、実に学びの多いものなのかもしれません。
そんなことを考えながら、祖母が補聴器を外し寝静まった後、風呂を掃除し、少しだけYouTubeを見てから布団に入る2月の夜です。

明日は穏やかな朝が来ますように。
おやすみなさい。

Life is still going on.
Ayaka