猫カフェで見つけた、コロナ禍で失った「質感」

ここ4ヶ月くらい、月に12回、お気に入りの猫カフェに通っています。行くのはだいたい週末、絶対にこの日とは決めていなくて、なんとなく「あぁ、そろそろ猫パワーが足りなくなってきたな、チャージしに行かなきゃ!」って感じた時。いわば、メンタルが、猫の舌みたいにザラザラ、トゲトゲになってきた時。

でも、もともとは特別、猫を好きな方ではありませんでした。

そもそも子供の頃から動物を飼ったことがなく(あるのはせいぜい金魚かカブトムシ)、犬派?猫派?って聞かれたら自由気ままな猫より、お利口で忠誠心のありそうな犬かなって思っていたし、猫アレルギーもありました。

そんな私をよそに、オーストラリア在住の相方が、昨年11月頃から、子猫2匹を飼い始めました。オーストラリアは、コロナ感染防止に非常に厳しい措置を取っており、州内で1人でも発覚すると単発的に3日間程度の緊急ロックダウンを発令するなどして全力で拡大阻止・封じ込めにかかります。一人暮しにはいささか広すぎる平屋の一軒家で陸の孤島のごとくステイホームをするのを、以前はしんどそうにしていた相方が、猫ちゃんズが来てからは電話越しの声色も明るく、ビデオ通話の画面の向こうの表情も豊かになっていきました。

なんだかんだ毎日「大変だ大変だ」と言いながらも「猫はいいよぉ」と相方が言うので、百聞は一見にしかず、職場の可愛い後輩女子におすすめを教えてもらい、半信半疑で心斎橋の老舗猫カフェを訪れました。

二重扉を開けると、そこは木目の壁・床・インテリアに囲まれたゆったりとした空間で、猫たちが思い思いのままに遊んだり寛いだりしていました。

ちょっとドキドキしながら、顎を撫でる。気持ちよさそうに目を細めてくれる。調子に乗って、胴体に手を置いてみる。呼吸で背中が浮き沈みしているのがわかる。フワワフワの毛をそっとかき分けるみたいに下の肌に触れる。猫肌の生温かさが伝わってくる。

しっぽをつんつんしてみる。まるでしっぽにも目があるかのように、即座にピシって反応してくる。手を出すと舌で舐められる。ザラザラしてちょっと痛い・・・

知らぬ間に没頭し、スタッフのお姉さんに「飲み物はいかがします?」と聞かれ、気づけばあっというまに1時間近く経っていたことにはっとしました。

猫と触れ合った後って、セロトニンとかオキシトシンとか、いいホルモンが出ているのを直感で感じるんです。どこかの大手塾の車内広告じゃないけど四角いアタマ(脳)がまぁるくなっていく感覚。脳がとてもやすらげるので以来、私はすっかりその猫カフェの常連です。

カフェは、自宅、職場に次ぐ居場所、「サードプレイス(第3の場所)」と呼ばれるそうです。スタバ、タリーズどころか、ドトール、コメダにも行く習慣のない私には1ドリンク付きの1時間1200円はささやかな贅沢。サードプレレイス、アニマルセラピー、マインドフルネス・・・呼び方はなんでもいいけれど、とにかく心地の良い空間と時間。

そんな猫カフェの猫たちがくれるもの、それって一言で言うと「質感」なんだと思います。

ビデオ通話やZOOMでも、確かに相手の「顔を見る」ことはできる。でも、遠方の恋人と触れ合ったり、友人とハグや握手をしたり、そういう「質感」を得ることが、私(たち)の生活から大きく欠落してしまいました。

もふもふ、ふわふわ、ぬくぬく、ザラザラ・・・

猫たちと触れ合っていると、すっかり発動されなくなった脳内の「触覚」機能が心地よく刺激されて、「視覚」や「聴覚」からだけじゃ得られない三次元の質感を、手触りを、ぬくもりを感じられる。だから心地いいのかもしれません。

その猫カフェは、この春、移転して自転車圏内になったので、最近はちょっとした運動がてらミニベロを漕いで遊びに行っています。鼻が壊れた蛇口のようになる猫アレルギーも今ではすっかりなくなりました。(そもそも花粉症だったんじゃ疑惑が 汗)

リモートワークでチャット、メール、オンライン会議に追われ。通勤時間は減ったとはいえど、仕事合間の家事に追われ。私もつい、立て込んでくると「朝ごはん食べたばかりなのにもう、『昼ごはんどうする?』って聞かないでくれる⁉︎」と祖母にきつく当たってしまったりすることも・・・

それが猫カフェで過ごしたあとは、祖母を萎縮させちゃったな、ケーキ屋さんのシュークリームでもお土産に買っていこうかな、明日からもまた忙しくなりそうだから、おかずの作りおき、しておこうかな。

帰り道、そう思えるようになるから、不思議です。

素敵な質感をくれる、偉大なるもふもふのお友達に敬意と愛情を込めて。

I wish I could live like a cat.

Ayaka