日本からオーストラリアに引っ越してから、約1年ぶりに祖母の元へ帰ってきた。3月末にブリスベンを絶ち、シンガポール、東京を経由し、桜のピークが過ぎた頃に大阪にたどり着いた。
大阪で一人暮らしをする祖母は今年90歳になる。大阪市内の団地の廊下を大きなスーツケースを転がしながら歩き、祖母の家の玄関を開けた。
出迎えてくれた祖母の顔を見た瞬間、無意識に涙がとめどなく溢れた。
「あぁようやく、今回の旅の目的地に辿り着いた」
と、変わらない祖母の笑顔に、安堵で胸がいっぱいになった。
ブリスベンへ引っ越す前の約2年間、大阪で祖母と暮らしていた。
2020年ー2022年春先のコロナ期間ではあったが、二人で小旅行や外食や美術館巡りを楽しみ、たくさんの思い出ができた。
祖母の家は驚くほど1年前から変わっておらず、私が祖母とは別に使っていたシャンプーや、私が好きで買い揃えていた香辛料もほぼそのまま残っていた。
3日もするとなんだか昔に戻ったみたいで
「私は本当にオーストラリアへ引っ越したのか?長い夢を見ていただけでは?」と不思議な感覚になった。
コロナ中、豪州在住の相方(夫)とは2年半会えない期間が続いたが、それでも乗り切れたのは祖母が日々、すぐ隣で励まし続けてくれたから。祖母との暮らしが楽しかったから。
いざ移住となり祖母の元を離れる時は、祖母の年齢を鑑みると今生の別れでもおかしくはないと、胸が引き裂かれる思いもした。
もう一緒に暮らすことはないだろうと腹を括って大阪を経ったのが、その1年後、1ヶ月の期間限定ではあるものの祖母と再度二人暮らしの機会を持てたのは本当に恵まれていると感じている。
オーストラリアで再就職した今の会社では、1年に一度、自分の好きな国で約1ヶ月勤務できる制度がある。それを利用し働きながらの一時帰国となった。老舗の学術出版社ながら、さすがアメリカ発のグローバル企業、なんて柔軟なんだ!と驚くばかり。
この制度を使って海外旅行はもちろん、今回の私のように母国へ一時帰国をするスタッフも多い様。祖母との共同生活を後押ししてくれたオーストラリアの上司にも感謝しかない。
朝食を共にし、私は梅田のシェアオフィスへ仕事に、祖母は施設でのトレーニングや高齢者リーダーの集まりへ出かけ、夕食でビールを一緒に飲む。在宅勤務の時は一緒にNHKニュースを見ながらお昼を自炊する。団地内のおじちゃんおばちゃんが、お漬物や煮物を持ってきてくれたり、持っていったり。そんな何気ない大阪での日常が、束の間ながらも愛おしい。
4月中旬、オーストラリアから申し込んでいた造幣局の「桜の通り抜け」を祖母と観に行った。青空に映えるピンクの八重桜を眺めながら
「あんたとまたこうして桜を見られるとはなぁ」
と祖母が感慨深そうに言った。
「祖母孝行」なんて言うにはおこがましいけれど、「少しは成長して帰って来られたかな、自分」と少しだけ誇らしい気持ちになれた。
There is nothing more precious than ordinary days.
Ayaka