9月に「メンタルヘルス・ファーストエイド」の講習を受講してきました。自分の過去の古傷の記憶を呼び起こしつつ、知識やスキルを付けていく、しんどくも気づきの多い時間になりました。
◆メンタルヘルス・ファーストエイドとは
「メンタルヘルス・ファーストエイド(Mental Health First Aid :MHFA)」とは、いわば「こころの応急処置」のこと。
私たち一般市民が、自分の家族・友人・職場といった身近な人のこころの不調のサインに気づき、適切なアプローチを通じ、専門家の支援へと橋渡しをしていこうという趣旨の団体・活動です。
MHFAはオーストラリア発祥で世界各地に組織があり、アメリカやイギリスでは国家プロジェクトとしても導入されており、日本でも2007年から「MHFA Japan」が活動を展開しています。
本家オーストラリアでは毎日のように、各地で「こころの応急処置」を学ぶ一般市民向けの講習が開催されています。
中でも、12時間のスタンダード講習では、うつの症状・不安障害・精神病性障害・物質(アルコールや薬物)関連障害などの基礎知識や、具体的な声掛けの仕方や支援先について学びます。受講者はアセスメントテストに合格すると3年間の「First Aider」資格がもらえるようになっています。
◆6年ぶりの座学、多文化な顔ぶれ
「何か移住先のオーストラリアでも資格を取りたい!」と言うシンプルな意欲と、「自身の過去の適応障害の経験も、一当事者として何か役立つかな…」と言う極めて個人的なほのかな希望を込めて、春の初めの9月にスタンダード講習を実際に受講してきました。
講習会場は地域の社会福祉支援団体の事務所の会議室。
元国防軍のエンジニア、看護士の経歴をもつベテラン講師の先生はもちろん、
私を含めて8名ほどの参加者は台湾、トレス海峡出身、白人系、黒人系など豪州らしい多様な人種・国籍の顔ぶれではオーストラリアならではです。
留学中に通ったビジネススクール以来、実に6年ぶりの座学。職場とはまた違う世代やコミュニティの方とのディスカッションやワークに、オンラインのセルフラーニングでは得られない、対面ならではの醍醐味を存分に味わいました。
◆選べないサンドイッチ
講習を通じ、特に印象に残った項目が2つありました。
一つは、うつ病経験者の方のインタビュー動画。
「サンドイッチ屋のSUBWAYで、パンの種類や具材を細かく自分で指定するのがとにかくしんどかった。小さなことでも考えがまとまらずに、何も決められない自分が辛かった」と話す経験者の男性。
苦痛の感じ方は人それぞれなので程度は計り知れないですが、私自身も自分が渦中にあった時、似たような経験をしました。
通勤途中のコンビニで、何種類もあるおにぎりを全く選べず頭の中はどんどん渦巻くばかり。混沌、半ば朦朧としながら結局何も買わずに後にしたあの日。
動画はまるでデジャヴのようでした。
◆逆効果の「きっとうまくいく」
もう一つ印象的だったのは、自身が辛い時期、家・職場など身の回りの人たちがかけてくれた言葉の多くが、テキスト中の「Do not say…」の項目、すなわち「つい言いがちな落とし穴」の項目にあったこと。
「Everything is gonna be all right (きっと全てうまくいくよ)」といった根拠のない極端にポジティブな励まし、希死念慮を抱いている人に対し「Don’t you thinks anything strange?(変なこと考えてるんじゃないでしょうね?)」…等。
「あの時、実はこの言葉で余計しんどくなってしまった」というセリフたちがそこにはたくさん連なっていました。誰一人悪気があったわけでは決してなく、むしろ優しさ・親切心からで、ただ「適切な声の掛け方」を間違ってしまっただけ。
これこそまさに、救命救急措置やAEDの使い方といった身体の応急処置と同じように、「こころの応急処置」についての教育・啓発がいかに私たち一般市民の中に必要なのかの表れなのだろうと痛感しました。
◆人類共通のしんどさ 対峙する知識とスキル
他にも小さな気づきは山ほどあったのですが、何よりの学びは、
・人種や文化的背景、程度の差は異なれど、人間が感じるしんどさの根底は概ね共通であること
・しんどさを抱える相手に手を差し伸べることは「共感力」や「優しさ」といった個人の人間性だけに依らず、「教育」を通じて培える「知識・スキル」であること
この二点に、私の中では集約されました。
こういったMHFAのような活動を職場や地域市民の間で普及させていくことが、相互互助的な空気を醸成し、しんどい渦中にある人を、一人でも多く救う小さなきっかけになっていくのではと思います。
◆古傷と折り合いをつけていく
MHFAを学ぶ過程で、文字通り「二度とあんな思いはしたくない」という当時の記憶が蘇り、胸を抉られ、無意識に涙ぐんでしまう場面も多々ありました。
おそらくこの感情は、完全に消えることはなく、古傷のような形でこの先も私の中に残っていくのでしょう。
傷跡を無理に綺麗に治そうとせず、あえてその原体験をもとに知識やスキルを付けていく。それがきっと身近な誰かの役に立つ。そうしてプラスに少しずつ変換することでようやく、「この傷跡も含めて、今の私があるんだもの」と、自分自身と折り合いを付けて生きていけるような気がしました。
講師の先生が最後にこんなメッセージをくれました。
To the world, you may be just one person, but to the person, you may be the world.
(世界にとって、あなたは単なる一人に過ぎないかもしれないが、その人にとってはあなたは世界そのものかもしれない。)
そんな一人になれる、一歩を私も踏み出せていたらいいな。
Ayaka