それでも旅が必要な理由〜メルボルンへの週末Trip

先日、初めてメルボルンを訪問した。
メルボルンオフィスへのプチ出張と、週末観光を兼ねての一人旅。


ブリスベンからメルボルンは飛行機で片道2時間強。
普段は時差はないのだが、メルボルンのあるビクトリア州はDaylight saving、いわゆる「サマータイム」制を導入しているため10月-4月頭はブリスベン(クイーンズランド州)より1時間メルボルンの方が進んでいる。
1時間の時差といえど、日没時間は2時間も違い、メルボルンでは20時過ぎからが夕陽を楽しむ時間だ。大雑把な私でも体内時計は意外と敏感なようで、初日は妙な眠気をずっと感じていた。

それでも体が慣れて来ると、あちこち見て回ろうという意欲が湧いてくる。さすが約100年前までは豪州の首都だった大都市。ヨーロッパ調のクラシカルな巨大建造物が多く、「レーンウェイ」と呼ばれる路地裏にはカフェや小洒落たレストランがひしめいている。ちょうど全豪オープンの開催中とあって街には「AO」(Australia Open)の看板が溢れていた。

「会いたい人がいる旅」というのが好きだ。もちろん旅先での偶然の、一期一会の出会いも好きだが、「この人に会いたい」という想いを持って出かける旅はもっと好きだ。「わざわざ」足を運ぶ十分な理由と価値がそこにあるから。コロナ禍で初対面がオンラインで、最近になってようやくリアルで「初めまして」を交わした人も多いだろう。

私も今回、オーストラリアで転職してから約半年を経てようやく、日頃から大変お世話になっている上司や先輩方に直接会うことができた。
「やっと会えたわね!」と全身でハグして歓迎してくれる上司(オージーの女性)、ビデオ会議の画面越しで見るよりもずっとずっと素敵で、気さくな雰囲気の先輩方。コーヒーや食事を共にしながら、たくさん話をした。「コミュニケーションの9割はノンバーバル要素」って本当かもなと、改めて噛み締めた。

旅先では、ガイドブックやネットの口コミよりも、現地の人に聞き、素直に体験してみるのがその土地を存分に楽しむコツだといつも思う。ヤラ川を地元サイクリストに混じってサイクリングしてみたり、「メルボニアン」(メルボルンのローカル民)で賑わうタパス屋さんに連れて行ってもらったり。おのぼりさん(死語?)丸出しだったが、同じ豪州の都市でもブリスベンとはまた全然違う、道ゆく人の顔ぶれや文化がとても新鮮だった。

ブリスベンだって日本から見たら十分、異国情緒はあると思う。それでも人間、定住するといつの間にか日常の光景になってしまう。それは神奈川から大阪に引っ越した時もそうだったし、世界中どこでも定住すればそんなものだろう。だからこそ、定期的に旅に出て、非日常の世界に五感で触れて、脳にバンバン情報送り込み刺激を与えることが必要なのだ。スマホの画面から顔を上げて、世界は自分が思うよりもっと広いのだということを自身に体感させるために。


そして、旅の終わりの瞬間もまた好きだ。日曜の夕方、ブリスベン空港に着陸する飛行機の窓からメルボルンのそれよりも幾分こぢんまりとした街の夜景に「ホッと」した自分に驚いた。あぁ、いつの間にかここが自分の「ホーム」と思えるようになったのだなと。

「DX」なんて言葉すら最近では当たり前すぎて聞かなくなった気もする今日この頃。大概のことはオンラインで解決・擬似体験できるようになった。
だからこそ一層、時間もお金も労力もかかる、物理的な移動を伴いかつ直に五感に響く「旅」の意義や価値は高まったと思う。

その地にいる人に直に会うこと、非日常の景色を一次情報とし生身で記憶すること、自分のホームを再認識すること。少なくとも私には旅は楽しみやスパイスを超えた「必需品」になんだなと今回改めて感じた。

週明け、ブリスベンのオフィスに出社したら同僚が笑顔で迎えてくれた。
Welcome home, Ayaka!

さぁ、次はどこを旅しよう。
Ayaka