Я хочу жити в Україні.(私はウクライナに住みたい。) 〜生の言葉が伝える痛みについて

連日、ロシアのウクライナ侵攻のニュースが日本でも繰り返し伝えられ、その痛ましい惨状に胸を痛めている方も多いと思います。ショッキングな映像が連続する一方で、コロナの感染者数の数字報告を、もはや天気予報の一部のような感覚で見ている自分にはたと気づき、色々感覚が麻痺しているなとも感じます。

今ではもっぱら英語教材制作に携わっている私ですが、実は大学時代は「外国語学部ロシア東欧課程・ロシア語専攻」でした。もともと積極的に「ロシア語をやりたい!」というより単純に「東京外大に入りたい!」という気持ちの方が強かったので、ロシア語面においてはけっして優秀・熱心な学生ではありませんでした。
それでも、夏休みにはモスクワ・サンクトペテルブルクに語学研修に行き、現地の先生や学生と親しくなりました。日本で3.11が起こった時は、卒業旅行でサンクトペテルブルクへ向かう途中のトランジットで、モスクワ空港にいました。入国審査で「日本が大変なことになっている」と言われ、そこで初めてロシア語での「地震」(землетрясение ゼムリャトリャセェーニエ)という単語を知ったことを、今でも鮮明に覚えています。