「シンパシー」ではなく「エンパシー」をー誕生日、延暦寺での母との対話から

先日、33歳の誕生日に約1年ぶりに母親と会いました。
緊急事態宣言がようやく明けたからと、神奈川から大阪まで弾丸で来てくれ、一緒に比叡山に登り一日たくさんのことを話しました。
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祖母と暮らせば〜祖母が米寿を迎えた日の話

祖母が米寿を迎えました。

祖母88歳、孫33歳(←来月迎える)、その差は実に55歳。世代差の大きい私たちですが、こうして大阪市内で一緒に暮らし始めて約1年半、一緒に2回目の誕生日を元気に迎えることができてほっとしました。

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猫カフェで見つけた、コロナ禍で失った「質感」

ここ4ヶ月くらい、月に12回、お気に入りの猫カフェに通っています。行くのはだいたい週末、絶対にこの日とは決めていなくて、なんとなく「あぁ、そろそろ猫パワーが足りなくなってきたな、チャージしに行かなきゃ!」って感じた時。いわば、メンタルが、猫の舌みたいにザラザラ、トゲトゲになってきた時。

でも、もともとは特別、猫を好きな方ではありませんでした。

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「人生はラグビーボールのようなものである」ー私が大阪府民になった理由

2020年上半期、世界はコロナで大きく変わってしまいましたが(そして今も続いているけれど)私にとっても、厳しい半年間でした。出口の見えない、細く暗く長いトンネルの中をずっと彷徨っていました。 Continue reading “「人生はラグビーボールのようなものである」ー私が大阪府民になった理由”

その壁は扉かも。~令和元年、一歩踏み出す「動く勇気」を持ちたい人へ

この春、社会人9年生を迎えました。
ふと振り返ると、ターニングポイントには、必ず「動く勇気」が伴っていたように思います。たとえ、期せずして訪れた受動的なチャンスだったとしても、そこに向かい一歩踏み出すかどうかは自分しだいで、必ず能動的なエネルギー、勇気があったはずだから。 Continue reading “その壁は扉かも。~令和元年、一歩踏み出す「動く勇気」を持ちたい人へ”