#祖母と暮らせば 最終回〜「人生100年時代」に祖母から学んだこと

オーストラリアへの引っ越しを控え、大阪での祖母との共同生活に終止符を打ち、神奈川の実家へと引き上げました。

約2年間にわたり、SNSや本ブログで綴ってきた「#祖母と暮らせば」シリーズもこれで一区切りです。

55歳も離れた祖母と孫娘が暮らしを共にするというのは、両親とも、パートナーと暮らすのともまた違う(であろう)、人としての学びが本当にたくさんありました。

思えば、祖母にとっても私にとっても思いがけないきっかけで始まった「二人暮らし」でした。一回り上の祖父を13年前に亡くして以来、ずっと大阪市内の団地で一人暮らしだった祖母。そこに病気療養・転勤をきっかけに転がり込んで来た孫娘。祖母にとってはまさに晴天の霹靂で、台風のように目まぐるしい2年間だったと思います。

祖母と暮らしてみて気づいたのは、私がそれまでの約30年間、半年に1度程度で会う時に見ていた祖母は、あくまでよそゆきの祖母だったということ。自分の生活圏内での祖母は、団地内のコミュニティはもちろん、英語教室、健康食品、高齢者リーダーなどさまざまなコミュニティにつながりをもち、茶飲み話からお出かけの誘いまでひっきりなしに電話がかかってきて、常にたくさんの人に囲まれ生き生きとよくお喋りをする、エネルギーに満ちた快活な人だと知りました。
日本統治下の台湾で生まれ、戦後は鳥取に引き上げ、看護学校への進学を機に大阪に出て早70年強。都会暮らしの中で身につけた気品があり、大阪の素敵なレストランや文化施設に精通した文化的な女性であることも知りました。

また、暇さえあれば得意の着物リフォームで、自分の作品や友人からの依頼で針仕事に勤しみ、毎回「ご飯できたよ!」と私が声をかけるまで食事も忘れ熱中し続けていました。何事にも好奇心旺盛で、私に感化されてiPhoneとiPad、スマートウォッチの使い方を覚え、祖母の身にDXが起こったこともこの2年間の劇的な変化だったでしょう。
毎日新聞を隅から隅まで熟読するのに加え、iPadでの英語学習を欠かしません。(なので私が引き上げた後も、自宅のWi-Fi環境は残したほどです。)

「#祖母と暮らせば」シリーズの発信を通して皆さんからいただくたくさんの反響に、祖母は毎回とても喜んでいました。公私問わず私の行く先々で、祖母と直接会ったことのない方でも「素敵なお祖母様だね!」「自分もあんな風に歳を重ねたい」と口々に言葉をもらえたことは、私にとっても嬉しく、祖母の存在をこれまで以上に誇らしく思えるようになりました。

90歳近くになっても「要支援1」に止まり、まだまだ十分自立生活ができること。人とのつながりを絶やさず、常にコミュニティに属し社会との繋がりを保つこと。好奇心を持ち続け、世の中の新しいテクノロジーにも果敢にチャレンジしていくこと。そのしなやかさは、「人生100年時代」と言われるようになった今日(こんにち)において、私たち誰もに共通する、心と体の「健康寿命」という課題を示し、ロールモデルになってくれていると感じます。私自身、祖母という身内の枠を超えて、彼女の生きる姿勢、存在そのものが人生の大先輩として、自分の生き方を考えるきっかけや道標になりました。

祖母との生活の区切りに、何か思い出の品をと思い、フォトアルバムを作成しました。
日々の食事に、一緒に行った長崎、城崎旅行、美術展、落語、ミュージカル、誕生日にクリスマスに正月…55歳の歳の差が嘘のようによくこれだけあちこち共にしてくれたものだと、祖母の心身の若さに改めて敬服するばかりでした。
PC上でアルバムを編集して、添える手紙を書きながら、私の涙が止まらなかったことは言うまでもありません。(もちろんケンカもたくさんしましたが、それも祖母の若さの証。)

祖母の手元用と、私がオーストラリアに持って行く用にアルバムは同じものを2冊作成しました。思い出ってやっぱり最後はデータよりアナログが記憶を鮮明に呼び覚ますと思いながら。

2年間、「#祖母と暮らせば」シリーズにお付き合いいただいた皆さま、本当にありがとうございました。このシリーズは最終回となりますが、また祖母との次回の投稿ができるその日まで、祖母も私も、お互い健康第一で、日々を笑顔で心穏やかに過ごせることを願ってやみません。

Distance doesn’t matter, because we belong together.

With much love for my sweet grandma, Youko
From Ayaka