隔てていたのは国境ではなく心の境界線だった-There is no border between us-

境界線は日本とオーストラリアの間じゃなくて、私自身の中にあったんだ-
この年末年始に、オーストラリアのブリスベンを再訪して気が付いたこと。2018年2月の帰国以来、初めての再訪でした。

1年間の留学中に、街の観光はほとんどしつくしてしまったので、今回の旅は「会いたい人に会い、自分を見つめ直す」ことがテーマでした。(言ってみれば、三十路独身女性の一人勝手に『アナザースカイ』的な…イタタ。)

大晦日にブリスベンに到着し、1月6日には現地発と、実質6日間ほどの弾丸旅行。オージーは口々にThat’s too short!! と言ったけれど、いたしかたなし。ワタクシ、ニッポンのカイシャインですから(汗)

ブリスベンの街の中心部にはシティ・サイクルに加え、レンタルの電動キックバイクが登場し、郊外には新しいバイクウェイが拡張、ブリスベン川沿いに新しいブリューワリーやレストランが立ち並び、街は豊かな方向へと変化していました。

留学会社のスタッフさん、大学院や寮のルームメイトだった女友達、親切にしてくださった州政府の知人、インターン先Bicycle Queenslandのスタッフたち、居候先だった日本人アスリートのご夫妻、ローカルのバイク仲間たち…
真冬から真夏に移動したおかげで、ちょっとクラクラしながらも、自分でも「連日、よう動きまるわ!」と思うくらい、精力的に人に会い、ロードバイクにも乗りました。

人種も、国籍も、年代もバラバラだけれど、会った人たちは皆、“Welcome back, Ayaka~!” と温かく迎え、ぎゅっとハグをしてくれて、その度、涙もろい私はうるっときてしまったのでした。(皆、二言目には、「でさぁ、次はいつ戻ってくる??」だったけれど…笑)

留学中、丸一年日本に帰国しなかった私にとって、帰国後、オーストラリアはすっかり遠いところになってしまっていました。それはまるで、小学生の頃に感じていた、ディズニーランドから、翌日、学校生活に戻った後に感じる、日常生活と夢の国とが分断されたあの感覚。
ブリスベンは、パラレルワールドにある「あっちの世界」。「こっちの世界」(日本)とは完全に違うところとして、心理的に完全に分断されていたのでした。

でも、今回再訪したことで、私の中で、その境界線の色味が淡いグラデーションのようになり、どこかつながっていったのです。
ブリスベン空港まで迎えに来てくれた友人の車の車窓から、ブリスベンの中心街を再び見た時、もはやまったく新鮮味はなかった。シティに出れば、地図なしで一人でサクサク歩ける。そこに広がっていたのは「遠い、見知らぬ外国」ではなく「自分が生活していたもう一つのホームタウン」でした。

オーストラリアの1月は真夏。
早朝ライドの後、昼間にシャワーを浴びながら、シャワールームの窓からのぞいたのは抜けるような夏空。
「日本のどんよりとした冬の曇り空も、ブリスベンの青いこの空も、そうか、つながっているのかぁ。」とふと、思ったのでした。

たしかに、日本の自宅からブリスベン空港まで、バンコクでの乗り継ぎを入れたら丸々24時間。直行便なら一晩とはいえ、台湾や韓国のように週末旅で行けるところではありません。

でも、いけばいつでも、Welcome back!と迎えいれてくれる温かい人たちがいる。自分がどれだけ、留学中に素晴らしい人たちに支えられてきたことか。渡豪当初は、知人が誰一人としていなかった異国の地で、悔いのない充実した一年を送れたのは、周囲の皆さんからのたくさんの友情や愛情があったからこそ。自分一人で成しえたことなど何一つなかった。そのことを痛いくらい感じたのでした。

年末年始の航空券は、けっして気軽にポチっと買えたものではなかったけれど、今、このタイミングで行ったことに大きな意味を感じました。

ブリスベンを「遠く離れた別世界」にしてきたのは、東京-ブリスベン間の7,158kmでも、国境でもなく、私自身が心の中に勝手に引いてきた境界線だったのかもしれません。

Actually,there is no border between us.

遠回りせず、意地や見栄を張らず、誰と、どこで、どんな風に生きていきたいか、素直に向き合い、進んでいきたいと思う2019年の始まりになりました。

With you will have a peaceful and wonderful year with lots of joy.

See you again in Brisbane!

Ayaka